しばいぬ通信

  • インタビュー
    醤油とともに新天地で成長 岩住清司さん 二反田醤油杜氏 32歳 上毛町中村
    弥生
    16
    2015

    醤油とともに新天地で成長 岩住清司さん 二反田醤油杜氏 32歳 上毛町中村

    醤油蔵は時が止まったかのような静けさに包まれています。されど、流れる時間。コンクリート製のタンクに寝かせられた「もろみ」が熟成の時を待っています。静かに、ゆっくりと。時間の経過は色と香りに現れ、大豆の名残を残した茶から黒へと色が深まっていきます。

    醤油づくりに携わり10年目を迎えた岩住清司さんは、新天地で試行錯誤を重ねながら腕を磨き、技と自信を醸成させてきました。

     

    今年は3月12日から仕込みが始まりました。麹を撹拌して室で寝かせます。

    今年は3月12日から仕込みが始まりました。麹を撹拌して寝かせます。

     

    醤油作りの原料は大豆、小麦、塩が基本と、いたってシンプル。裏を返せば、杜氏の力量がそのまま味の差につながるシビアな世界です。

    仕込みの始まったばかりの二反田醤油では、蒸した大豆と砕いた小麦に、麹菌を加えて「醤油(こうじ)」を作っていました。

    醤油麹と食塩水を混ぜ合わせた「もろみ」をタンクで2年間にわたり発酵、熟成させます。二反田醤油では一般的な蔵よりもじっくりと時間をかけることで、代々伝わる味を守り続けています。10日に1回ほどタンクを撹拌させる「櫂入(かいい)れ」を行うと、出荷が近づいたもろみの香りが蔵に広がります。この瞬間が岩住さんにとって一番の喜びを感じるときです。「出来がいいものはブランデーのような、日本酒の吟醸香にも似たフルーティーな香りがするんです」。職人の誇りが充実した横顔ににじみます。

    「醤油がしっかり作れるようになって、自信が持てるようになりました。自分は醤油がつくれる人間なんだって。そういうものがそれまでの人生でなかったので」。

    嬉しそうに語る岩住さん。杜氏として一人前に至るまでの道のりは平坦ではありませんでした。

     

    タンクに落ちないよう注意が必要です。塩分濃度が高いので日本酒と違ってもろみに雑菌が繁殖することはありません。

    タンクに落ちないよう注意が必要です。塩分濃度が高いのでもろみに雑菌が繁殖することはほとんどありません。

     

    仙台で高校を中退し、フリーターのような日々が続きました。そんな中、現在の社長である母方のおじに声を掛けられ、杜氏を目指す覚悟を決めて上毛町にやって来ました。このとき23歳。大学卒業者と同じ年齢です。「ここで骨をうずめるつもりで来ましたから。必死でした」

    一から始める醤油づくりとあって、移住したてで不慣れな時期は、ちょっとした言葉の違いすらも生活の壁になりました。

    毎日のように叱られる修行の日々が続き、会話の端々で出くわす方言に戸惑いました。「ストレートな表現が多くて、きつく感じてなじめなかった」。

    ある日、師匠に「かくもん」を持って来いと指示を受けました。どうして筆記用具が必要なのかは分からずに、岩住さんはペンを探してきました。手渡そうとしたところ、顔を真っ赤にした師匠に烈火のごとく怒られたそうです。「かくもん」が「角材」を意味していると知ったのはしばらく後のこと。愚痴を言える友人もいなかった当時が一番堪えたと言います。

     

    木製の樽が趣深い。

    趣深い木製の樽が蔵の歴史を感じさせてくれます。

     

    修行を始めて半年ほどで、師匠が病に倒れて現場を退きました。唯一の杜氏になった岩住さんは、半ば強制的に独り立ちです。肩書から見習いの文字が消えても、1年間の作業の流れすら分からないままでした。なにせ修行歴はまだ半年足らずです。

    現場を離れた師匠からアドバイスを受けながら悪戦苦闘を繰り返します。「こうじ」を運ぶクレーンが壊れて手作業でタンクに詰めたことや、タンクいっぱいのもろみをダメにしたこともあります。その都度、失敗を糧にして醤油づくりと向き合い続けたことで、気温や湿度の変化を肌で感じ取り、発酵のタイミングを見極める勘どころをつかめるようになりました。。

    地域にもなじみ、いまでは二児の父です。「自分の子供が継いでくれるなら、やらせたいし、伝統の味に加えて、いつか自分の味を作りあげたい」。1919年から続く蔵の味と家庭を守り、職人、父親として、さらなる高みを目指し続けます。時の流れとともに熟成する醤油のように。